2008年12月06日
渋沢栄一記念館・生家

しかし、渡しに着いてみると係員が「対岸の船着場が土砂で埋まり接岸できない」という。今は観光客相手にこちら岸だけの遊覧舟行をやっており、「渇水期になったら浚渫工事をして復旧する」計画らしい。
仕方がないので少し下流の橋を渡り、渋沢栄一記念館を目指した。渋沢栄一 (1840-1931) は明治の財政家にして実業家、福祉事業家で生涯に500もの企業を起こしたという。
その程度の知識しかなかったが、群馬県のサイクリング地図を見ているうちに「島村の渡し」の対岸にその生家や記念館があることに気がつき、カミさんに誘われるままに出かけてきた。
利根川を望む記念館北面テラスには高さ4メートルという巨大な銅像が建ち、記念館では係員が郷土の偉人を熱心に説明してくれる。ずいぶん小柄な人だったようだが、複数の女性との間に11人の子供がいたとか。
幕末は庄屋階級出身の逸材が活躍した時代で、群馬県では彰義隊長をした天野八郎が南牧村の出身だ。陸援隊で有名な中岡慎太郎や清河八郎も同じ階層の出身だ。
そのほとんどが非業に倒れる中で渋沢は91歳の長寿を全うしたが、やはり幸運としか言いようのない生涯で、幾度もの危機を回避して生き延びたようだ。
近くに残る生家の跡( =写真 )を見学して、そろそろ陽も傾くころに利根川を渡って群馬県側に戻り、玉村町のゴルフ場サイドではカミさんが「実はこれが1番の楽しみだった」と白状した「銀杏の実拾い」に付き合って、もはや夕陽が稲含山の彼方に姿を消したころ、ようやく家にたどり着いた。
手持ちのサイクルコンピュータによれば総走行距離は約80キロ、昼食や休憩、施設見学、銀杏拾いをいれて約7時間半のサイクリングだった。